2017/10/15

ポロ祭り




この家に引っ越してきたのは去年の12月。
ベランダはないが、家の裏にうち所有の大きな庭があるためベランダ代わりのように使用している。

引っ越して間も無くのある日のこと、その庭に見覚えのない車が停まっていた。
その持ち主は私たちの階下に住む男、街の誰もが知るポロ(フォルクスワーゲンの車の一種)フリークである。 本来なら共同である駐車場に一人で5台はポロを停めているような男である。
挨拶くらいしかしたことはないが、太り気味で人当たりもよく愛想はいい感じである。


もうポロを停めるスペースがないのだな、と冬で庭を使う機会も少なかったのでしばらく放置していたが、3月になっても4月になっても車が動かされる気配がない。


5月に入り遂に「今週末までにうちの庭に停めてある黄色の車を動かしてください」とお願いしたところ、一つ返事で「問題ない」と返ってきた。
そしてその週末私たちが庭で目にしたのは黄色のポロの代わりに停められていた朱色のポロであった。

 
「黄色のポロを動かせ」と言ったので代わりに違う色を持ってきたとか!
その熊のような優しい風貌からは予想もできない行動に一同笑うしかなかったのである。





それからしばらくし、場所を見つけたのか車は庭から消えていた。



これが彼の所有するポロの一部である。
聞くところによると、彼は他にも友人の家に3台、職場に2台、実家にも何台かポロばかりを所有し改造に勤しんでいるという。
 

そして今日もポロに大きな身体をねじ込めエンジン音を響かせ街を走り回っているのである。

2017/05/27

国際結婚とは




前にも少し書いたことがあるが、私のクラスにはブラジル人女性が2人いる。
2人とも在独歴はもう20年。
1人は3人子供がいるが全員成人し彼女は今1人暮らしをしている。
もう1人はまだ学校に通う子供2人のシングルマザー。そう、2人ともドイツ人男性と結婚し、その後別れているのである。


その話を聞いた時、頭に最初に浮かんだのは何故にまだドイツにいるか?と言うことだった。国に帰りたくないのか?と。
でもよく考えてみれば、子供はこちらで育っておりこれからもドイツに住み続けるのである。そして自国とはいえ20年の時を経て新しい生活をスタートさせるのはかなり気力のいることであろう。


私は、もし別れることになったらどうするのであろうか?
1人でドイツに残ると言う選択は微塵も考えられないが、今後子供が出来たとしたら?日本に帰るはいいが、馴染めるのだろか?


そんな事も考えずに国際結婚したかと思われるであろうが、心配したのは親の介護、本当にそれくらいだったのだ。
2年目にして初めてリスクを悟ったある日の午後であった。



2017/05/07

インスタ始めました!




前回ブログを更新してからちょうど2ヶ月、、
3月から4月のイースター休暇に入るまでテスト地獄でございました。
毎週1つか2つはテストがあって本当辛かった〜そしてイースター休暇が終わった今そのテストたちが段々と返ってきている今、違う意味で辛い。笑


でね、時間があるときの優先順位の中でブログはかなり下の方にありましてww
ほら、時間があっても天気の日には外に出たいし!
インスタを始めました。



 


アカウント名はhanski3です。
お気軽にフォロー、コメントお待ちしておりまーす!

2017/03/07

それでも人は信じたい



私は今、ポドロギーというフットケアの職業に就くべく専門学校に通っている。
2年のフルタイムのコースで、授業は1年目の私たちの他に、2年目に通う生徒も一緒に受けている。


2年目の生徒の中に、フィリピン人の女性がおり、よく話しかけてくれ私のことを気にかけてくれており、アジア人は私と彼女2人だけということもあり徐々に親近感を抱くようになった。彼女は在独10年、旦那さんは少し年上で入院をしたり子供が病気になったりと長い時で学校に4週間来ないこともあった。その時は連絡を入れてみたり、授業の進み具合などを伝えていた。


いつも、「分からないことがあったら何でも聞いてね」と言っていてくれたが他の人に助けられることが多く、彼女に聞く出番なく時は過ぎていた。
先日ちょうど 授業に出ることが出来ず、次のテストの情報を得られなかったので、そうだ彼女に聞いてみようと連絡を入れた。


私 「次の法律のテスト、何が出るのか教えてください」

フィリピン 「先生が授業の中で説明したしたこと、あれが全てよ」

私 「こないだの授業、出れなかったんです」

フィリピン 「私があなたの立場なら、授業に出るわね」 

私 「………?」




















へ?
あれ?…ん?今何が起きた!!!
 
しばらく状況が掴めなかったが、何でも聞いてと言われていたのも、テストが終わるごとに点数を聞かれていたのもここにて納得。私は単に見下されていたのだ。
自分は4週間授業に出なくても問題ないけど、あんたは頭悪いから授業出ろってかーーー?!😡


こうして彼女は私の危険人物リストに加えられることとなったのである。
 

2017/02/22

引越しと難民と



あれから何事もなく朝を迎えた。
朝一番、耳鼻科に行ったが血が止まっている状態では何も出来ることはないとすぐに家に送り返されてしまった。
何が原因だったのか、、内臓系でなければいいのだが。

義父も義母も、もう若くはない。
これからこんな事が増えていくのだろう、そして旦那の兄弟2人はどちらも離れた街に暮らしているので私たちがメインとなり動かなければならない。
この一件を経て初めて親の介護を考えたのであった。




さて、話はさかのぼるが訳あり物件への引越しを決めた私たち。
その後無事住人と連絡を取ることができ、オーナーと旦那の立会いのもと引き渡しも無事に行われた。ゴミやたくさんの私物はそのまま、壁は穴だらけで掃除もされていなかったが、連絡が取れただけでいいとするのである。

さあ、これで安心して引越しが出来るとなった時、別の問題が浮上した。
私たちが引越しした後の部屋にはアフガニスタンからの難民一家が入ることが決まっていたのだが、どうやら一家が現オーナーに家を出る旨を伝えたあと家の暖房を消されたらしいのだ。
11月末のドイツ、夜なぞ毎晩マイナスである。1歳の子供もいると言うのに誰がそんなひどいことを出来ようか?と言うことで一刻も早く引越しを終わらせ家を引き渡すぞ、と言うことになったのである。

一家は3人で一年半その物件に住み部屋の大きさは7平米、畳にすると4畳ほどでキッチンとトイレは共同。
オーナーは約30人ほどの難民に部屋を貸し出し、月に2万ユーロ(約240万)の収入を得ていると言う。聞くと他にもベビーカーを壁に叩きつけられた事があるなど、一家はオーナーから嫌がらせを受けていたと言う。何をもって嫌がらせをするのか、オーナーの真意は分からないままだ。


こうして、予定よりかなり早く引越しが完了した。

2017/02/20

血まみれの日曜日

お久しぶりです!
約3ヶ月振りになりますが、この3ヶ月間の話は追い追い書けたらと思っております。あるネタと言えばグチばかり、タイトルもそろそろAnother Skyから愚痴ブログかなんかに変更した方がいいのかもと思っています。
今年もよろしくお願いします。


さて、義父はいま車で1時間離れた街のリハビリ施設に入っている。先月いきなり歩けなくなり、そのまま骨髄の手術を受けたからである。
訪問者は誰でも泊まることが出来ると言うことで、義母は時間を見つけては泊まりに行っていた。
今週も木曜から泊まりに行っていた義母だったが、そこで義母は度々鼻血が止まらくなる事態が起きていた。そんな状態で車の運転は危険なので、日曜の今日私と旦那の2人で迎えに行き帰りは車2台で帰ってきた。


義母を家まで送り届け、さぁご飯を作ろうというとき、義母から鼻血が止まらない、救急車を呼んでくれと電話がかかってきた。
旦那は救急車を呼び、私達は再び車に飛び乗った。


救急車が来たらすぐ家の中に案内出来るようにと旦那を先に車から下ろし私は駐車場へと車を走らせた。
車を停め義母宅へ走ると家の前に救急車が停まっているのが目に入った。"義母はいるか?"と駆け寄ると、救急車の中には着替え中の救急隊員2人のみ、義母の姿はない。怪訝そうな顔で、"居ない"とだけ言われ状況が全く読めずとにかく義母の家の中に入ることにした。義母は白い顔で洗面所に立っており、シンクは血で染まっていた。


どれ位待っただろうか?
やっと上がってきた救急隊員はビニールを被りマスクを付け、これからガス室にでも入るかのような完全防備でゆっくりと歩いて入ってきた。これの為に着替えていたのか、、
そして義母が一通り状況を説明し、その間救急隊員はめまいはするか?など質問はするが何をするでもなく話を聞くばかり。しまいには何をしたらいいか分からないと言い結局義母を触ることなくそのまま病院へと向かうことになった。


私達はそのあとを追いかけ病院へと走った。
救急の受付には看護師と思われる女性3人が雑談しており、私たちが今運ばれたものの家族だと言うと、じゃあそこの待合室で待てと言いまた雑談へと戻った。


アゼルバイジャン出身という医師はとても親身で、度々義母の様子を見に何回も来てくれた。ヴュルツブルグまで行けば専門医が診てくれるとの事だったが、そこまで行くにもまた1時間。鼻血も止まったので家に戻り明日まで様子を見ることとなった。


やる気のないヤツや無愛想な接客には普段から慣れているつもりだったが、それが医療関係者だとこんなにもダメージを受けるものか。
ただでさえ不安でいっぱいでとにかくすぐに助けて欲しい、そんな時になぜ少し急いではくれないか?
なぜ笑顔や同情の一つもくれないか?


また何かあればすぐに救急に向かえるよう、今晩は義母宅に泊まることにした。何事もなく朝を迎えたいと願うばかりの日曜の夜である。